2017年 03月 11日
あれから6年経ったのね
あの時私(私たち)はパリで、プーママからの
「日本が大変な事になってるよ!テレビを見てみて!」
すぐにテレビをつけ、あの津波の映像に心臓がバクバクした事を今も覚えています。
その後の在仏日本人の方たちは勿論、フランスの方たちのボランティア活動が凄かった。
音楽関係の方たちは教会などでチャリティコンサート、お料理の先生はクッキーなどを作って売ったり、それはそれは沢山のボランティア活動が有って感激。
何も出来ない私たちは、ひたすらコンサートに通いました。
コンサートで最後に演奏された「ふる里」の歌に号泣。
そして、テレビで見た「帰宅難民」の方たちの落ち着いた礼儀正しい姿に、同じ日本人としてとても誇りを感じました。
あれから6年も経ったんだね。
今日は朝からずっと震災番組を見て、泣きっぱなしの一日でした。
(*^^)v
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早く元の生活とはいかなくても落ち着いて生活出来るようになることを祈るだけです。
それにしても道路が早く復旧すれば談合とか騒ぐ輩はどうにかならないものかと思います。
出張帰りのかりんパパは新幹線が途中で長い時間止まってしまい、家に帰りついたのは夜中の2時ぐらいだったかな・・渋谷から歩いて帰って来ました。
娘は会社に朝まで留まって・・かりんとふたりで夜中まで不安だったのを思い出しました。
それにしてもまだまだ復興出来てない事が多いですね。
家族を亡くしてしまった方々を思うと胸が締め付けられますね。
>しかしまだ故郷に帰れない人たちや復旧していない地域、原発関係等は何時終わるとも知れず大変なままです
そうですね。
沢山の悲しみと先の見えない生活。
どんなに辛い事かと思います。
そして、何が起こるか分からない昨今、私たちも災害に対する心構えは必要と改めて思いました。
談合は場合に寄っては必要悪かもしれませんね。
ホントに怖かったし、かりんちゃんと二人で心細かったでしょ。
パパさんもお嬢さんもそれぞれに大変だったと思います。
そして、家族を失った悲しみと厳しい現実を背負い続けながら、皆、それぞれに何とか頑張っている。
取り分けまだご家族の遺体さえ見つからない方たちは、ふっきれない悲しみを抱え続けたままでね。
切ないですね。
仮設住宅なども、もう少し国が何とかして上げられたらいいのにね。
あのときは、実家で長い地震ねと
話していた母も、亡くなり
いわきから、避難してきた叔父も亡くなり
月日の流れを感じています。
叔父の孫達に、健康被害が出ないことを
願っています。。。